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自分でやった方が早い病」とは

■病状
 ・「自分でやった方が早い」という考えに陥る

■2つの発症パターン
 ・まわりよりも自分ができてしまうから
 ・相手に悪いし、お願いが下手だから

■かかる人
 ・仕事ができ優しい、30代の新人リーダーに多い

■病の原因
 ・「人のため」と言いながら自分の利益しか考えていない
 ・まわりの人と一緒に成長しようとしない
 ・基本的な教育ができていない
 ・エースピッチャーの快感に浸りマネージャーの喜びを知らない
 ・自分大好き人間

病状が悪化すると

・「孤独な成功者」になる
・仕事を抱え込み、病気も抱え込む
・つねに「誰かのせい」にして生きることになる
・笑顔と余裕が消える
・いつまでたっても優秀な人が現れない
・誰も信頼できなくなる 誰にも信頼されなくなる
・仕事が途切れると、年賀状も来なくなる

克服できると

・1人の100歩ではなく、100人の1歩で進むことができる
・まわりができる人だらけになり、大きな仕事ができるようになる
・友達もお金も増える! 昇進、昇給もできる!
・より大きな幸せを感じることができる
・「自分がほめられるための仕事」ではなく本当の仕事ができる

処方箋

■「任せる」とは「失敗させる権利を与えること
 ・失敗の経験を積ませるのが上司の仕事
 ・失敗は短期的な成果、効率を見た場合の評価
 ・育てる、任せるから見た失敗は、成長

■まわりの人をヒーローにする
 ・損な役回りを引き受けてみる
 ・目先の損を取って、長期的な得を得る

■「任せる」は「仕事をふる」ことではない、と理解する
 ・仕事は責任とセットで任せる
 ・責任も与えれば、ふられたほうも俄然やる気になる

■自分のコピーをを作ろうとしてはいけない
 ・自分がトッププレイヤーだから、つい自分のやり方が正しいと思いがち
 ・部下に仕事を任せた以上、部下のやり方に口出しはいけない

■計画と検証は一緒にやり、実行は一人でやってもらう
 ・リーダーの仕事は、P(計画)、C(検証)、A(改善・仕組み化)を全力を注ぐ
 ・D(実行)の部分は部下に任せる

■あえて70点のマニュアルを作る
 ・残り30点は部下が自分で考える部分
 ・独自性を発揮できるように余白を用意しないと、マニュアル人間になってしまう

 京都・祇園での8名が死亡した暴走事故が起きた当日の夜に、京都府警の交通部長たちが警察内部の懇親会に出席してお酒を呑んだことを責められているようです。



 ○朝日新聞社デジタル:捜査指揮の府警交通部長が飲酒 事故当夜、懇親会に出席 – 関西ニュース一般

 ○【京都 暴走車両】またも警察の危機意識欠落 酒席、マージャン、旅行…京都府警交通部長飲酒   – MSN産経ニュース

 ○祇園事故の夜 交通部長懇親会で飲酒 NHKニュース

 ○「府警交通部長、祇園暴走当夜に懇親会」 News i – TBSの動画ニュースサイト


 なんなんでしょうね、このイヤな感じ。

 この交通部長が陣頭指揮を執っていた、とかなら「捜査もせずに何をやってるんだ」となるでしょうが、彼はただ報告を受けて京都府警交通課のトップとしての判断を下すだけの人ですよ。

 なのに、責められている。正確には、メディアがこれを取り上げ、読者に警察を叩くように誘導している。“自分たちの意見は何も言わずに他人に叩かせる”というこの流れが気持ち悪いです。

 いったいどのあたりまでの人なら飲酒しても良いんですか? 交通課のトップはダメ? じゃあ京都府警のトップは? 警察のトップは? 事件の記事を担当する記者は? 京都で交通の仕事に係わっている人は? 事故が起きたあたりに住んでいる人は?

 そんなに飲酒がダメなら、そもそもお酒を売らなきゃいいじゃないですか。ボク、お酒大好きですけど。

 警察側としても悪い、なんて思ってませんよ。でも記者が「お酒を呑んでいたそうですが……」なんて聞いてきたら「申し訳ありませんでした」と答えるしかないじゃないですか。「お酒呑んで悪いんですか?」なんて言ったら怒る人が出てくるのは火を見るよりも明らかなんですから。

 だから、これ以上騒がれないように静かに頭を下げる。記者はそれを書く。読んだ一部の不謹慎ネタが大好きな読者は怒り、警察嫌いな読者は溜飲を下げる。

 警察に対してこのムダにプレッシャーをかける流れって、捜査に悪影響しか及ぼしませんよね?

 責任を取らされそうなトップは常に下で起きた事件を把握しようとし、下は上からの命令に従って重要そうな事件は急いで報告する。捜査と関係ないことに時間は割かれるけれど、もうそれはしょうがない。なぜなら、そうやって“危機管理”しないと不祥事になってしまうから。

 そのうち市長や知事、果ては総理大臣まで飲酒をとがめられてしまいそうな世の中です。だったらボクは言いたい。そんなに飲酒が悪いなら、もうお酒を売るのはやめたらいいんじゃない?

 禁酒法は悪法だけれど、世間が望むなら今度は日本で“高貴な実験”をしましょうよ。

やる気をあげる6つのツボ


①「仕事が速くなる」と、仕事はどんどん楽しくなる
②「目標の見つけ方」がうまい人は、やる気を高めるのもうまい
③「仕事に没頭できる」状況づくりで、集中力がさらにUP
④「達成感を得るツボ」を知れば、やる気が続く
⑤「評価される」仕事のやり方が、やりがいを生み出す
⑥「人に喜ばれる」仕事ができる人は、何をやってもうまくいく

仕事が速くなるツボ

・いつもよりも早く起きて、誰よりも早く出勤する
・仕事が速い人とどんどん付き合う
・「整理整頓」を徹底する
・仕事に関する情報をメディアや人から収集し始める

目標を見つけるツボ

・目標を掲げ頑張っている人と付き合う
・目標が見つかるまで、仮の目標を立てる
・どんなに小さくてもいいから目標をたくさん設定する
・成功した人の目標を自分の目標とする

仕事に没頭するツボ

・仕事で好きなこと(嫌いじゃないこと)を探し、徹底してみる
・どんなに仕事が忙しくても適度に休憩や気分転換をする
・仕事のプロセスを徹底的に考え追求する
・私利私欲を捨てて無心になって仕事に集中する

達成感が得られるツボ

・時間がかかる仕事は、一つひとつ区切って仕事をしてみる
・人がいい仕事をしたらしっかり褒める
(褒めれば相手も褒めてくれるようになる)
・一つのことを限界までとことんやり抜く
・できるだけ多くの人を巻き込む

評価を上げるツボ

・気配りをよくできる人を見習い、真似してみる
・通勤時間や移動時間をムダにしない
(オフィスよりも集中できる場所もある)
・上司から何がいちばん会社や上司の評価を左右するのか素直に教わる
・どんな仕事も自ら率先して作業する
・上司に新しい実現性のあるアイデアや提案を定期的に提出する
・注意されたら「すみません」「申し訳ございません」と素直にあやまる

人に喜ばれる仕事のツボ

・人の話をよく聞き、相談に乗る
・困っている人や忙しい人のお手伝いを積極的にする
・人のミスや失敗を追求せず、全力でカバーする
・仕事をとおして周りの人に喜ばれようと努める

全ての社員が家に帰れば自慢の娘であり、息子であり、尊敬されるべきお父さんであり、お母さんだ。そんな人たちを職場のハラスメントなんかでうつに至らしめたり苦しめたりしていいわけがないだろう。

■1.「学校の教育現場をなんも知らんかった」■

A: 僕が始めてPTAの会長になって痛感したのは、今まで父親として、学校の教育現場をなんも知らんかったということです。

B: ワシもそう思った。卒業式でも君が代どころか、校歌すら歌わん、などとは思いもよらんかった。以前、校歌の作曲者が来賓で来とったが、「こりゃ、どこの国の卒業式じゃ」ちゅうて怒って帰ってしまったそうじゃ。

C: うちの学校では、国際教育と言って、朝鮮の服を着せてみたり、家庭科でキムチの作り方を教えてました。東京から転勤してきて、向こうではそんな事は教えてなかったので、はじめは国際的でいいじゃないか、と思ってましたが、しばらくすると、なんで北朝鮮のことばっかり教えるのか、他の国のことはなぜ教えないのか、と思うようになりました。別にうちの地域は在日の人が多いというわけでもないのに。

B: 運動会でも、万国旗が飾られとったが、そのなかに日の丸がない。所々、豚や猫の旗があったが、わざわざ日の丸をはずして、豚や猫の絵にしとったんじゃね。それに遊技とか集団演技ばかりで競争種目がほとんどないから、父兄が見ていてもぜんぜん面白うない。徒競走だけはあったが、ゴールしても順番もつけん。なんじゃ、これは、と思うたわ。

A: クラスを参観しても、混合名簿で男子女子がごちゃまぜになっとりました。男の子もわざわざ「さん」づけで呼んどって気色悪い。先生も時々間違えて「田中君」とか呼んで、あわてて直しとりました。まあ、学校のことは先生と母親に任しておけば、ちゃんとやってくれとると思っとりましたが、自分で学校に行って見てみると、こりゃ放っとけんなと思いましたね。

■2.「子供を人質にとられとる」■

A: 私がPTAの会長になった時、ちょうど商売仲間のBさんが会長経験者だったんで、軽い気持ちでどんなもんか、聞いてみたんです。そしたらうちの地域の偏向教育がひどいちゅう事を聞いて、初めは半信半疑だったんで、まず事実を調べてみよう、っていうんで、両方の学校の卒業式の式次第やアルバムを並べて、比較をしてみた。

 そしたら、ものすごい違いがあることがわかったんです。卒業アルバムを見ても、うちはフロアでの対面形式でやっとる。こりゃぁ校長を高い位置に置かせんためのもんらしい。こういう比較情報は、僕だけでなくPTAの間でも、うちの学校はずいぶん変な事をやっとる、っていう事を認識するんに大きな効果がありました。

B: ワシの友人にもPTA会長経験者がおって、こんな事を言うとった。その会長が学校にいろいろ文句をつけた所、その子供は、教室でのプリント配布の時でも、担任から「ああ、○○君のお父さんはPTA会長さんじゃけぇ、こういうプリントは渡さんでいい」と言われて、のけ者にされたそうじゃ。子供は家で泣きながら「PTAの会長をやめて」いうて頼んだそうじゃ。

 PTAの役員になって、この学校はおかしいと気がつく人は多いけど、こうして子供を人質にとられとるけぇね、言いたいこともなかなか言えん。特にお母さん方じゃね。卒業式でのPTA会長の挨拶の時に、こうした事をあらいざらいぶちまけて、今日で会長を辞任するとやった人もいたそうじゃ。しかし、そうまでしても学校は全然変わらん。

■3.「まずは校庭の草とりから」■

A: この話を聞いて、僕も広島の男じゃけん、こういう卑怯な輩とは徹底的に戦っちゃろうじゃないか、と思いました。しかし、一人で立ち向こぉてもダメじゃ、父兄の中で仲間を作っていかんにゃぁいけん、とBさんからアドバイスをもらいました。

 そこで、私は地域のソフトボール仲間に声をかけて、PTAとは別に「オヤジの会」を作りました。オヤジの会の会員を集めようと、勧誘文を学校から配布して欲しいと頼んだら、初めは拒否されました。広教組(広島県教職員組合)の活動家の先生たちは、我々父兄が口出しするのを迷惑がっとりました。

 オヤジの会でまずやった事は、学校の草取りでした。父兄が集まって、校庭の草取りをする。これにも広教組の先生は、草取りをしたら昆虫の住む場所がなくなる、なんて、見え透いた反対をしましたがね。

 それから、学校の横を流れとる川のゴミさらいもしました。男親が集まると、電動の草刈り機を持ち込んだり、川に沈んどる自転車をクレーンで引き揚げたりと、いろいろ道具立ても揃いますけぇ、子供らも面白がって参加してきました。今では、父兄の寄付で草刈り機が4台もあります。

 また「とんど祭り」なんかも、オヤジの会が中心となって学校でやりました。1月15日の小正月に門松やら注連縄(しめなわ)やらを山のように積み上げて校庭で焼くお祭りですから、オヤジたちが何人も揃わにゃできません。
子供たちもそりゃ、面白がっておりました。

 作業が終わったら、皆でビールを飲みながら、バーベキュー・パーティーです。子供たちはジュースでね。これも初めは学校で飲み食いせんでくれ、っていう邪魔が入ったんで、駐輪場でやりました。

 こういう具体的な作業を作って、なるべく多くの父兄に参加してもらったのが良かったですね。座って学校の批判ばかりしとるよりも、わいわい言いながら一緒に作業をして、校庭や川がきれいになったのを見る方が達成感がありますけえね。オヤジの会は、別に子供がいない人でも、その地域の有志が参加できるようにしとったんで、お年寄りたちも清掃作業に喜んで参加してくれるようになりました。

■4.職員室の異様な雰囲気■

A: こうして父兄でいろいろなボランティア作業をやりながら、学校にどんどん出入りするようにしていったんです。たとえば校長に会いに行く時は、わざわざ職員室を通って、先生方に挨拶していく。

 いや、しかし、最初に職員室に入った時は、異様な雰囲気にびっくりしましたね。こんちわっ~、と大きな声で挨拶しもって職員室に入っても、誰も返事をせんのです。余計なよそ者が来た、という目つきで我々の方をにらんどる。

 ある先生の机の上には、解放同盟(部落解放同盟広島連合会)の新聞が広げてあって、どこかの校長を吊し上げた、なんていう記事が一面に出とる。そういう新聞を、我々が通ると、さっと隠したりしとりました。

 しかし、我々オヤジの会が校庭や川の掃除といったボランティア活動をして、先生方にも呼びかけとると、参加してくれる先生方も、少しずつですが出てきました。先生方の中にも、今の広島の教育はおかしい、なんとかしたい、と思うとる人も結構おるんです。

 その一人、道徳の女の先生が私に話があるとこっそり言うてきたので会うたんですが、その先生は、道徳の時間は同和教育や人権教育ばかりで、まるで道徳の教育をやらせてくれない、と私に悩みを打ち明けてきたんです。それでも私と二人で話している事がばれると吊し上げされる恐れがあるので、部屋に入るときも出るときも、誰かに見つからんようにえろう警戒しとりました。学校じゃあ自由にものを言えん事がよう分かりました。

 オヤジの会では、このように本当に生徒の事を思っている、やる気のある先生を励まして、サポートしてきました。昨年は、ついにこの先生が、道徳の公開授業をやる所までこぎ着けました。退職した前の校長先生からも、「ついにやったね」と電話がありました。

 組合活動の中核となっている問題教師は一部なんです。その一部が事ある毎に外部の勢力を引き込んで吊し上げやらするんで、校長先生も大勢の普通の先生方も口出しできないような状態になっとる。だから、我々オヤジたちが学校に乗り込んでいって、世間の常識からものを申す。そういう事で初めて、やる気のある先生方に不当な圧力をはねのけて、子供のやる気を引き出す授業をして貰えるんです。

■5.「破り年休」■

B: また以前は、組合活動の中心となっとる先生は、広教組の大会とか集会とかで月に3日も4日も出張しとって、その都度、生徒たちは自習を命ぜられとった。じゃけえ、以前は生徒たちが昼日中から、町なかをうろついとる、なんて事もようありました。活動家の先生方は、組合活動へ出るのに、年次有給休暇の届けを出しておいて、帰ってきたら破って捨てる。これを「破り年休」と言います。

 これが30年間も続けられとったんじゃが、教育委員会が約2百名の教師に総額2千万円ほどの返還請求をした。学校ぐるみの不正が行われとったわけじゃが、ワシら、オヤジの会のメンバーがしょっちゅう学校に出入りしとると、こがぁな事はあからさまにできなくなった。

 まだまだ組合の方も、いろんな活動をしとるが、以前のように不正をおおっぴらにやるという事はなくなりましたな。

■6.オヤジたちの援護射撃■

C: 私はソフトボールが好きで、Aさんのチームとはよく試合をしていました。試合後の一杯飲みで、Aさんたちがオヤジの会で活発にやっている様を聞いて、私も自分の地域のために何かしたいという気になってきました。

 Aさんたちを見習って、初めは校庭の草取りから始めましたよ。そういう作業を通じて、学校の建物とか、先生方の顔と名前を覚えると、家でも息子といろいろな話題ができたのは、嬉しかったですね。今までオヤジとして、いかに子供の教育をなおざりにしていたか、改めて感じました。
息子も口には出しませんが、自分のオヤジが学校のためにいろいろやってくれるのが、誇らしい様子でした。

 それから、ちょうどこの頃、文部省の指導で、県教育委員会から、学習指導要領に則って入学式、卒業式では国旗掲揚・国歌斉唱を実施すべきとの通達が各校長に出されました。

 この通達どおり国旗掲揚・国歌斉唱を何とか実施しようとした世羅高校の石川敏浩校長が、広教組の強硬な反対にあって、自殺に追い込まれました。この事件は国会でも問題になりましたが、やはり教育委員会からの通達があっても、校長一人では組合員たちに吊し上げられたら、どうにもできません。

 日頃から、オヤジの会がいろいろな行事を通じて、校長とよく話し合っていれば、こういう時に支えてあげることができます。私の学校では、オヤジの会が中心となって、教育委員会からの通達のコピーを父兄に配布し、有志の連名で「学習指導要領通りの卒業式、入学式をしてください」という要望書を学校に出しました。

 こういうオヤジたちの援護射撃で、校長をバックアップし、また良識ある先生方を励まして、ちゃんと国旗と国歌が卒業式、入学式でできるようになりました。

■7.広がるオヤジの会■

B: ワシらの市じゃあ、20いくつかの小学校があるが、こうしてオヤジの会が広まっていって、いまではほとんどの学校で結成された。まだない所でも、立ち上げようと準備が進められとる。お互いに横の連絡をとって、進め方のノウハウを交換しながら、やっとるけえね、連帯意識もあるけど、いい意味での競争意識もあるかねえ。

 今までは、オヤジたちは家にほとんどおらんので、学校も母親任せで、日教組がどんな勝手な事をしているのかも、知らんかった。母親が多少変だなと思うても、子供を人質にとられとるから何にも言えん。

 結局、日本の学校教育がこんなになってしまったのは、我々オヤジたちが、教育を学校や母親に押しつけて知らんぷりをしとって、その隙に日教組が勝手な事をしとったということじゃろう。やはり、オヤジたちが社会の常識を学校にも持ち込み、不正とは連帯して戦こうていかにゃならん。

 また家庭教育がなっとらんのも、オヤジたちの責任じゃ。最近、うちのオヤジの会では、暴走族の少年を更生させようと取り組んどるが、父親や地域のオヤジたちが子供たちの不良行為を初めのうちからきちんと注意しとったら、暴走族なんぞになりはせん。

 ワシらの子供の頃は、学校への行き帰りは、近所の人が農作業をしている横を通って行くんで、あちこち、お早うございます、とか、挨拶をしながら学校に行った。近所の人も、「おう、賢ぼう。今日も元気だな。」とか、声を掛けてくれる。そういう中では悪さなんか、できっこない。
地域全体で、子供を教育しとったんじゃね。

 オヤジの会ちゅうのは、日教組と戦うだけじゃのうて、家庭や地域の教育力を復活させて、本当の教育改革をしていこう、ちゅう動きなんじゃ。日本中にオヤジの会がでけた時には、日本はもっとまっとうな国になっとるじゃろう。

――政権交代から2年半、東日本大震災から1年。これまでの民主党政権をどう見ているか。



安倍 : 震災復興が非常に遅れていることは由々しきことです。被災地では瓦礫の処理と除染が進まずに、福島の方々も将来に対して絶望的な気持ちになっている。自民党はなぜ民主党に協力しないのかと批判もありますが、自民党は行政府が実施すべき政策を577項目提案し、45本法案化しました。

麻生 : 役人を使えないから、何もできないんですよ、民主党は。

安倍 : その通りですね。非常時においては、役人には100の力を120、130にして出し切ってもらわないと困る。そのためには裁量権をもたせて思い切り働けるようにしないといけない。ところが政治主導の名のもとに「君たちに裁量権は一切ない。明示的に決められたこと以外に及ぶ時には全部政治レベルまで話を上げろ」といわれたら、現場では何もできません。

麻生 : 阪神・淡路大震災の時と比較すると一番わかりやすい。当時の村山富市首相は社会党の人で、うちにはこの種の経験がないからと自民党に復興策を任せられた。そこで小里貞利さんを震災対策担当大臣に立てて、「君に任すから、思った通りやりたまえ。責任はこちらが持つ」といって現地に送った。結局、彼は天皇陛下への内奏や国会対策等以外は、東京に帰ってこなかったと記憶している。

安倍 : 求められているのはそうしたスピード感で、地方任せにせず、国が前面に出ていって判断していくことが必要です。その判断には常に批判が伴いますが、政権を担う者はそれを受け止めていかなければいけないんです。

麻生 : 非常事態においては組織は簡略化し、権限は集中させる。こんなことは基本です。ところが菅さんがやったのは、委員会を20いくつも作り、およそ現場には関係ない学者を呼んできて……。

安倍 : 菅直人さんという人物のパーソナリティが、常識を超えていたということも大きいでしょう。頭から「お前は黙ってろ」といわれたり、みんなの前で怒鳴られたりしていたら、官僚は力なんて出せません。

麻生 : 意気に感じてやるってのとは真逆だね。

安倍 : 例えば、私の地元(山口県)に水産大学があるんです。震災の時、練習船があいていたので、船に食糧や水、必要な物資を載せて被災地に持っていき、被災者の方たちを乗せて避難場所へ運ぼうとした。ところが役所から「用途から外れている」といわれてダメだった。

 民主党のいっていることを忠実にやれば、そういうことになるんです。生活支援費の支給も、2万人もの人が申請しているにもかかわらず、当初はそれを受け付ける人が12人しかいなかった。気の利いた役人なら、とにかく人を集めて予算については後で何とかしようと考える。しかし、政治主導の名において、臨機応変な対応がほとんどできなかった。結果、復興がこれほど遅れてしまったことは残念でなりません。

32 :名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 15:53:38.43 ID:pLSRJAvb0
▼従軍慰安婦問題とは?
1. 韓国の主張 → 「日本は国を挙げて韓国人を誘拐同然に連れ去り売春婦にした!」
2. 証拠の提示 → 「自称・被害者(元売春嬢)の証言」以外「一切」無し
3. その一方で → 「公に『売春嬢の求人』が行われていた物証」は続々

▼簡単なお話
① そもそも当時は「公娼制度」――つまり現在と違い「売春が職として公認されていた」時代
② 事実「女衒」と呼ばれる売春の仲介業者(韓国人含む)が「公然と」存在
③ また戦時中は売春嬢の需要が高く「売春婦は非常に高給」
④ そして「カネのため売春婦になる女性」は時代、国を問わず存在
⑤ 実際「現在の韓国」でも売春業は盛況、来日する売春婦も多い。当然「日本軍の関与」は無い

▼少し細かいお話
Ⅰ 従軍慰安婦という言葉を作ったのは実は日本人、千田夏光氏
Ⅱ 曰く、「挺身隊として動員された朝鮮人女性20万人のうち5~7万人が慰安婦にされた」
Ⅲ 「挺身隊」とは? → 軍需工場などへ勤労動員された者
    しかし、挺身隊員で慰安婦になれと強制された例は「一つも」確認されず
Ⅳ 吉田清治氏(第2の宣伝者)曰く、「私は済州島で慰安婦にするための女性狩りを度々行った」
Ⅴ この証言に対して当時の「現地の新聞」 → 「吉田証言に該当する事実はない」
Ⅵ 日本政府の調査も同様 → 「強制連行は確認されず」 「挺身隊が慰安婦にされた例も確認されず」
Ⅶ 後日、吉田氏 → 「あれは『創作』で『実は済州島に行った事も無い』と謝罪
Ⅷ ところが「日本の一部マスコミと政治家」が「日韓友好のため!」と裏づけを一切取らず「事実認定」
Ⅸ 「お墨付き」を得た韓国人と 「冤罪」と憤る日本人とで折り合うはずもなく、結果は泥沼

▼客観的事実から導き出される結論
「他の時代や地域と違い当時の韓国人売春婦だけは金目的ではない!」とは無理がある
「身売り等で意思によらず売春婦になったケース」と混同して「日本の強制徴用!」などと
主張するなら「客観的証拠」が必要

──結局のところ、「発端を作った一部日本人」と「元売春婦と韓国政府」が
「金のため売春婦になる女性(現在の韓国人含む)がいる」という現実に目を背けたまま
「日本軍の誘拐!」という証拠無き自説を押し通すため騒いでいる、という話である

支那が傲慢にも河村名古屋市長の当然の正しい発言にいちゃもんをつけてきていますが、全く愚かなことです。

なぜなら、既に2年前に胡錦涛主席が来日した折に、「南京事件の真実を検証する会」(会長:加瀬英明)が中国文の公開質問状を中国大使館を通じて送っていますが、彼はこれにこたえていないからです。

これの公開質問状は、中国語、日本語、英語で発信する会のサイトに掲載され、世界各国のアジア関係学者、マスコミ、大使館関係等4000名ほどににメール送信もされています。

お読みになればおわかりのように、これを読んでまだ「南京虐殺があった」と考える人がいたとしたら、その頭の構造を疑いたくなるでしょう。決定的なポイント5点についてどうにも答えられない、というのが支那の事情であることがよく理解できるかと思います。

皆様にお願いします。
この文書を使って、河村市長の応援活動を是非実行してください。

既に「新しい教科書をつくる会」(藤岡元会長は検証する会の事務局長)のメルマガでこの公開質問状が発信されていますが、さらに英文、中文のファイルも添えますので、より有効活用が出来るかと思います。

特に大村知事、藤村官房長官にはこれを送り、「あなたはこれに反論でも出来るのですか」と迫ってみるのはどうでしょう。

それぞれのお立場で、メールでもいいですし、ファックスでもいいですし、手紙でもいいですし、電話でもいいですし、はては面談でもいいですし、それぞれ可能な方法で、これを活用して糾弾活動を展開していただければとお願いする次第です。
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胡錦濤氏への公開質問状は、末尾に掲載します。
日本語版、英語版、支那語版があります。

英語、支那語のものは、文字を縮小していますが、ワードかメモパットにコピペしていただければ、文字を拡大してお読みいただくことができます。

今回の事件は、2月22日に、劉志偉・中共南京市委員会常務委員ら訪問団が、名古屋市役所に河村たかし市長を表敬訪問した時のことです。

そもそも名古屋市と支那・南京市は、四十年前の日中国交樹立後に姉妹提携を結んでいます。その関係で、相互の友好を深めるためにと、支那の委員らが名古屋市長を訪問したわけです。

そのとき、河村市長が、名刺交換を終えるやいなや、「南京では通常の戦闘行為があったのは残念だが、南京事件はなかったのではないか」と発言しました。さらに河村市長は、終戦時に父親が南京市にいたことを挙げて、「事件から八年しか経っていないのに、南京の人は日本の軍隊に優しくしていたのはなぜか」と付け加えた。

聞いた劉氏は河村市長に反論せず、「南京の人々は平和を熱愛している。我々は歴史を学び、いつまでも恨みを持ってはならない」と話題を変えようとしたけれど、そこは河村市長、いつもの気迫で後ろにひかない。

なおも「南京で歴史に関する討論会をしてもいい」と追い打ちをかけます。そして「私は南京の人に感謝している。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」としめくくった。

このことでテレビではみのもんた、新聞では中日新聞などが、河村市長が非常識だと噛み付いているわけです。

そもそも「南京大虐殺」など、まったく存在していません。「大虐殺」どころか、ひとりも市民も、殺害などされていません。あえて言います。日本陸軍は、誰ひとり「虐殺」などしていない。

これについて、一部の保守系メディアで、南京では2万人の殺害があったなどと書いているものもあるようですが、2万人どころか、ただのひとりも「虐殺」などしていなかったことを、ここではっきりと書かせていただきます。

もちろん激しい戦闘があったのですから、巻き添えをくって亡くなられた市民の方も幾人かはおいでになったかもしれませんが、それは戦闘行為の最中の出来事です。戦闘終結後、非戦闘員に対する暴行に相当する虐殺行為など、日本軍はただのひとりも行ってなどいない。

そもそも日本軍が南京城を包囲する前の時点で、支那国民党は、城内の民家を「そこに日本兵が隠れるかもしれない」からと、一方的に焼き払い、市民のうち男には銃を突きつけて兵士として徴用し、女子供は城外に追い出していたのです。さらに言うことを聞かない者に対し、国民党はその場で幾人も殺害しています。これが日本軍が南京城を包囲する「前の」出来事です。

そして城外で戦いが起こり、日本軍が南京城内に侵入する。その時点では、城内には、市民どころか、焼け跡があるのみ(外国人居留区は除く)でした。虐殺もなにも、場内に人がいなかったのです。

ないものを、あったあったとヒステリックに喧伝するのは、中共のいつもの手口です。戦後の日本は、誇りさえも失い、そういうアホにやみくもに迎合して、カネを払い続けて来た。中共にしてみれば、隣国にこんないい「カモ」がいるのですから、なおさら大喜びでガーガーと騒ぎ立てる。ゼロ人を、2万人と言い出したかと思えば、いつの間にか5万人になり、10万人になり、ついに30万人が殺害されたと騒いでいます。白髭三千丈と同じレベルのたわごとです。

たわごとはたわごとでしかないのです。それに迎合するのは、人として正しい行いとはいえません。なかったものは、なかった。それでいいのです。

私は、この件については、河村市長の英断をとことん応援させていただこうと思っています。

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■日本語版■
【胡錦濤国家主席閣下への公開質問状】

このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。

さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。

貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。

昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。

そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。

以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。

1 故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。
毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。
30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。
閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?

2 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。
国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。
しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。
もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?

3 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。
それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。
この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?

4 さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。
その1件は合法殺害と注記されています。
この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?

5 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。
しかし、その後の科学的な研究によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。
もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。
そのうえで検証させていただきたいと思います。

以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。

上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。
この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。
子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。

平成20年5月5日

南京事件の真実を検証する会委員一同
(会長)加瀬英明
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 すぎやまこういち 高池勝彦 高山正之 西村幸祐 花岡信昭 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘

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■英文■
OPEN QUESTIONS FOR HIS EXCELLENCY HU JINTAO, PRESIDENT OF THE PEOPLE’S REPUBLIC OF CHINA

As enthusiastic supporters of friendly relations between Japan and the PRC, we would like to extend the warmest of welcomes to President Hu Jintao on the occasion of Your Excellency’s visit to Japan.

For some years, our organization has been engaged in an investigation into the events that transpired in Nanking in connection with the Battle of Nanking, which took place in December 1937.
We are profoundly concerned about the PRC’s position on and approach to these events. Additionally, we are exceedingly uncomfortable with the duplicity of the PRC in its pursuit of friendship with Japan on the one hand, and actions that are most unfriendly in nature ― the expansion and renovation of the Nanjing Massacre Memorial Hall in 2007― on the other.
Recent research has proven that there is absolutely no basis for the claim that there was a massacre in that city.
We respectfully request Your Excellency’s responses to five important questions, which follow.

1. Chinese Communist Party Chairman Mao Zedong never referred to a massacre in Nanking.
He made exactly one mention of the Battle of Nanking during a lecture delivered at Yan’an six months after the conflict, reproduced in On Protracted War.
Chairman Mao criticized the Japanese for failing to annihilate Chinese troops after having surrounded them.
If there had been slaughter in Nanking of a magnitude so great (300,000 civilian victims) as to prompt the description “holocaust of the century,” there is not the slightest chance that he would have been silent on the matter.
What are Your Excellency’s thoughts on the facts presented here?

2. In November 1937, during the Second United Front and prior to the Battle of Nanking, the Nationalist Party established a new section at the Central Propaganda Bureau ― the International Propaganda Section.
We would like to direct Your Excellency’s attention to a top-secret document entitled “Outline of International Propaganda Operations,”which states that the International Propaganda Section held 300 press conferences in Hankou between December 1, 1937 and October 24, 1938 (a period that includes the Battle of Nanking); they were attended by 35 foreign journalists and diplomats, on the average.
How does Your Excellency explain the fact that not once during any of these 300 conferences was a statement or announcement made to the effect that a massacre had been perpetrated, or that prisoners of war had been unlawfully killed in Nanking?
Does Your Excellency, too, find these circumstances extraordinary?

3. The International Committee administered to the civilians remaining in Nanking, who were gathered in the Safety Zone. Records of the International Committee’s activities were published in 1939 as Documents of the Nanking Safety Zone by a British company in Shanghai, under the auspices of the Nationalist Government’s Council of International Affairs.
According to those records, the population of Nanking prior to its occupation by the Japanese was 200,000.
That figure remained unchanged, at 200,000, throughout the remainder of 1937.
By the end of January, it had increased to 250,000. These statistics completely and utterly destroy the credibility of any accusation of a massacre that claimed 300,000 victims.
What are Your Excellency’s views on this matter?

4. Among the records in the aforementioned Documents of the Nanking Safety Zone are detailed complaints about misconduct attributed to Japanese military personnel.
They include a total of 26 murders, only one of which was witnessed (to that account is appended a note describing the “murder” as a lawful execution).
Can Your Excellency reconcile these records with the PRC’s claim of a massacre with 300,000 victims?

5. Photographs purported to be evidence of a massacre in Nanking are on display at the Nanjing Massacre Memorial Hall, at other exhibitions, and in printed publications.
However, Analyzing Photographic “Evidence” of the Nanking Massacre by Higashinakano Shudo (Soshisha, 2005) and other recent scientific research reveal that there are no photographs attesting to a massacre in Nanking.
If Your Excellency is aware of photographic evidence of a massacre, please have it forwarded to us so that we may examine it.

On the basis of the factual information contained in these five questions, we are completely and totally convinced that there was no massacre in Nanking.
We would greatly appreciate Your Excellency’s responses to our questions.
Please note that we have selected the open-question format precisely because the matter at hand is clearly one of the prime concerns of many citizens of Japan and the PRC.
Our hopes for friendly relations between our two nations, for all generations to come, rest in Your Excellency’s hands.

COMMITTEE FOR THE EXAMINATION OF THE FACTS ABOUT NANKING

Chairman:KASE Hideaki
Secretary-General: FUJIOKA Nobukatsu
Auditor :TOMIZAWA Shigenobu, MOTEKI Hiromichi
Members:ARA Kenichi, UESUGI Chitoshi, KOBAYASHI Taigan,SUGIHARA Seishiro SUGIYAMA Kouichi, TAKAIKE Katsuhiko,TAKAYAMA Masayuki, HANAOKA Nobuaki,HIGASHINAKANO Shudo, NISHIMURA Kohyu,MIZOGUCHI Ikuo, MIYAZAKI Masahiro

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【支那語】
给胡锦涛主席的一封公开咨询信

中华人民共和国国家主席胡锦涛阁下:
在中华人民共和国国家主席胡锦涛阁下访日之际,从希望日中两国友好相处这一心愿出发,我们对阁下来日本访问表示衷心的欢迎。
本委员会长期以来,对1937年12月伴随着日中两军在南京交战而发生的所谓南京事件进行了很多的验证与研究。
由此,对贵国就这一事件所发表的见解产生了深刻的忧虑。去年「南京屠杀纪念馆」进行了大规模的扩建工程。
我们对贵国这种一边鼓吹友好、一边公然进行不利于友好活动的作法深感疑虑。
本委员会根据最近的研究结果从根本否定了「南京大屠杀」的说法。借此机会就以下五个要点提出咨询,以便听取阁下的高见。

一、首先需要指出的是,贵国已故毛泽东主席在生前从来没有提及过所谓的“南京屠杀”。
南京战役发生的半年之后,毛先生在延安所进行的一次演讲时曾经提到过南京战役,这一演讲的内容后来被编入了《论持久战》一书之中。
在这里,毛先生只是谈到“日本军经常对中国方面的部队进行包围,却少有进行歼灭”,而对所谓的“屠杀”只字未提。
如果当时真是发生了对30万平民进行杀害这样一个可称为世纪性大屠杀事件的话,毛先生怎么会对此只字不提呢?
这岂不是太不自然,太不可解了吗?对这样一个事实,阁下是怎样看待呢?

二、在南京战役开始之前的1937年11月,国共合作下的国民党在其中央宣传部内设置了一个国际宣传处。根据该国际宣传处所编《中央宣传部国际宣传处工作概要》这一机密文件的记载,在南京战役的前后,从1937年12月1日到1938年10月24日期间,国际宣传处在汉口举行了300次记者招待会,每次平均有35名的外国记者及外国使馆职员参加。
但是,在这300次的记者招待会上,国际宣传处一次都没有提到过“在南京发生了对市民的屠杀”,也一次都没有谈到过“对俘虏的非法杀害”。对这样的一个事实,阁下又是怎么理解的呢?
如果真发生了所谓的大屠杀的话,这难道不是非常奇怪,非常不可理喻的事情吗?

三、南京战役当时,有关国际委员会对集中到南京安全区内的南京市民进行了诸般照料,他们的活动纪录于1939年以《南京安全区档案  Documents of the NanKing Safety Zone》之名由中华民国国民政府外交顾问徐淑希编撰、上海的一家出版社发行,并由中华民国政府国际问题研究所加以监修。根据此书记载,南京市的人口在日本军占领之前为20万人,日本军占领之后也是20万人,并且在占领一个月之后的1938年1月增加到了25万人。
从这样一个纪录来看,所谓的30万人大屠杀完全是不存在的事情。
阁下难道不认为是这样吗?

四、上述的《南京安全区档案 Documents of the Nanking Safety Zone》这一出版物,还对当时发生针对日本军之不当行为的诉讼事件进行了详细的列举和纪录。
根据这些纪录,杀人事件只发生了两起,其中被目击到的只有一起。
并且,这一起杀人事件还被注明为合法性的杀害。这样的记录与贵国所主张的30万人屠杀是不可两立的。对此阁下又是怎样认为的呢?

五、南京大屠杀纪念馆等中国国内的展览设施展示了被作为南京屠杀之“证据”的一些照片,这些照片还被其它的书刊所登载。但根据后来的科学研究(验证南京事件「证据照片」( (东中野·草思社) )等)判明,可以用来证明南京屠杀的照片一张都不存在。
如果真有这些照片存在的话,请务必公诸于众,以便大家进行验证。

以上五项论点从根本否定了南京大屠杀的说法,就以上五项论点敬请阁下务必给与答复。
由于这些都是日中两国人民所共同关心的问题,我们以公开咨询信的方式将之提出。
为了日中两国子子孙孙的友好,衷心期待着阁下的回应。

平成20年5月5日
南京事件之真实验证委员会一同
会长:加濑英明
秘书长:藤冈信胜
监事:富泽繁信 茂木弘道 
委员:阿罗健一 上杉千年 小林太严 杉原诚四郎 椙山 浩一 
高池胜彦 高山正之 西村幸祐 花冈信昭  东中野修道 
沟口郁夫 宫崎正弘

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